結婚したばかりのころは、まだ私は農家として修業中の身。妻は専門職として自立して仕事を持ち、フルタイムで仕事をこなしていました。そのため、子育てができるような生活環境が整うまで、子どもはつくらないようにしようと約束していました。
「仕事が落ち着き、欲しいと思う時期が来れば子どもは自然とできるだろう」。私たちは何となくそう考えていました。
それから5年後、私はおいしい野菜がなかなかできずに試行錯誤をしていましたが、30歳を迎えようとしていた妻には、「仕事よりもそろそろ子どもを」という気持ちが芽生えてきたようでした。それからほどなくして、妻のはじめての妊娠がわかりました。
このまま出産まで順調にいくと信じて疑わなかった私たち…
しかし、赤ちゃんの心拍が確認できたその次の週に、同じ病院の検診台で赤ちゃんの心臓が止まっていることを告げられたのです。稽留流産と診断された数日後、妻は失意のうちに、亡くなってしまった赤ちゃんをおなかの中から取り出す手術を受けました。
それから約半年後に、2回目の妊娠が発覚。このときも直後に出血があり、慌てて病院に行くと医師から流産を告げられたのです。
「今晩、おなかに激痛が走ります」。
医師の予告通り、妻は流産の激しい痛みに苦しみました。
苦しみ、悲しむ妻の姿を見て、何もしてやれない自分の無力を痛感するばかりでした。
2度の流産で打ちひしがれる私たち夫婦の前に、一羽のコウノトリが現れました。繁殖事業のため福井県越前市で放鳥され、知多半島まで飛来してきたコウノトリの「ゆめちゃん」です。
コウノトリが赤ちゃんを運んでくるという伝説は有名ですが、畑にやってきて時折姿を見せるゆめちゃんは、子供を望んでいた私たちに希望を感じさせてくれる特別な存在でした。
「もしかすると、ゆめちゃんが本当に赤ちゃんを運んできてくれるかもしれない」。畑に出ては、祈るような気持ちでゆめちゃんの姿を探していました。しかし、その願いもむなしく、3回目の流産を経験することに。医師からは不育症の可能性を告げられ、本格的な治療を受けることも勧められました。
私たちは、お腹の赤ちゃんを失う悲しい思いをこれ以上味わうことには耐えれれませんでした。「子供はあきらめよう」。私は、そう妻に告げました。
2016年12月9日、失意のどん底にあった私たちの前に、再びコウノトリのゆめちゃんが現れました。奇しくも、この日は妻の誕生日で、私たちふたりの6回目の結婚記念日。この不思議な偶然に私たちは興奮しました。
もう立ち直れないと思うほどの悲しみと苦しみの中にあった私たちの心に、再び希望という名の灯りを灯してくれたのが、ほかならぬコウノトリのゆめちゃんだったのです。
この再会をきっかけに、私たちの気持ちに大きな変化が起きました。「コウノトリにもう一度会えたのだから、大丈夫、赤ちゃんにも必ず会える」。ゆめちゃんが羽を大きく広げる姿を見て、大きな勇気とパワーをもらい、私たちはもう一度新しい命の芽生えを期待して「にん活(妊活)」をはじめることを決めました。
これまでの生活スタイルを変えるように意識すること、そして食事の内容を見直すことでした。このころ私たちは、「妊娠」「人参」「にんにく」のそれぞれの「にん」をかけて、夫婦で「にん活」と呼んで励まし合っていました。
これまで専門職として働いていた妻は激務が続き、朝や昼はコンビニ食で簡単にすませ、夜は疲れて居眠りしながら食事をするような生活。仕事に打ち込むあまり、知らず知らずに無理を重ね、妻の身体は悲鳴を上げていたのでした。
「もう少し身体をいたわっていれば」。妻にはそんな後悔もあったようでした。思い切って休職することを決断し、身体に負担を掛けない生活を心がけるようにしたところ、それまで感じていた身体の痛みや頭痛、原因のわからない不調が、妻の身体から次第に消えていきました。
にん活中、私はもちろん、妻も畑に出て自然に触れたり、野菜が育つ仕組みを学んだり、畑で採れた新鮮な野菜を毎日の食事に摂り入れました。特に、疲労回復や滋養強壮の効果があるスタミナ野菜のにんにくは毎食必ず食べるようにしていました。なんといっても、当園のにんにくは、味、香りともに一流ホテルのシェフをうならせた自慢の一品でしたから。
2018年1月、4度目の妊娠が発覚しました。
うれしい半面、「またダメだったら」と不安が頭から離れませんでした。これまでの3度の妊娠ではすべて初期で流産をしていたので、安定期に入るまでは過剰なほど身体をいたわりました。安定期に入って、少しばかりホッとしたものの、赤ちゃんの顔を見るまでは片時も気が抜けませんでした。
妊娠中に妻が心がけていたのは、とにかくがんばり過ぎないこと。仕事でも何でも全力でこなす妻は、知らず知らずにがんばりすぎてしまうところがあるので、ゆったりとしたゆるやかなリズムで過ごすようにしていました。
そして、2018年9月、コウノトリが我が家に念願の赤ちゃんを運んできてくれました。私は、父になりました。
どれだけほしいと思っても努力をしても、妊娠や出産は人間の力が及ばない領域です。何が正解なのかもわかりません。
しかし、3度の流産と妊娠・出産を経て、私たち夫婦が今思うことは、ココロとカラダが健康になったからこそ、この子が今ここに存在しているということ。
子どもが生まれることは「奇跡」です。いまは、このかけがえのない家族のために、子どものために、そして、私たちのように子どもが欲しいと願う人たちのために、ココロとカラダが健康になるおいしい野菜をつくり続けたいと思います。
コウノトリが舞う美浜町の自然をこれからもずっと「赤ちゃんを運んで来る鳥」として言い伝えのあるコウノトリは、生態系ピラミッドの頂点に立つ鳥です。コウノトリが野生で生きていくためには、餌となる昆虫や魚、カエルなどの生き物が生息している環境が必要となります。
全国に百羽ほどしかいない野生のコウノトリがたびたび訪れるここ美浜町の田畑は、ひょっとすると他の地域に比べると農薬や化学肥料が少ないのかもしれません。自然の摂理に任せた野菜づくりを行う私自身も、コウノトリを招いているひとりかもしれないと考えると、ますますコウノトリとの不思議な縁を感じるのです。
私の農業は、”命の材料”を育てる「生命産業」です。コウノトリの餌となる生き物の命も同時に育み、コウノトリが安心して羽を休め、餌をついばめる環境を守り続けたい。農業を通じて、コウノトリが空を舞う美浜町の美しい自然環境を次代に継承していくことも私たちの大切な使命であると考えています。